八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君を歓待・自筆「源氏物語」椎本(しいがもと)原文/茶道13-B

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京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「椎本(しいがもと)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。

「椎本の巻」は、二月二十日ごろ、匂宮(今上天皇の皇子)は初瀬詣で(長谷寺参詣)の帰りに宇治の夕霧(源氏の君の長男)の別荘に立ち寄る。宇治の八の宮の姫君たちに関心があったからだ。匂宮は薫や夕霧(源氏の君の長男)の子息たちと碁や双六をしたり琴を弾いたりして楽しんでいる。宇治川を挟んだ対岸にある八の宮邸にもそのにぎやかな管弦の音が響き、八の宮は昔の宮中での栄華の日々を思い出さずにはいられない。大君(おおいきみ)の美しさに心を惹かれる薫の君と大君、そして匂宮と中の君のきらびやかな恋物語が描かれている

自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。

 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。

 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。

 出品した「源氏物語」は椎本(しいがもと)の内容の要旨
「椎本」(しいがもと)の巻は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。二月二十日ごろ、匂宮(今上天皇の皇子)は初瀬詣で(長谷寺参詣)の帰りに宇治の夕霧(源氏の君の長男)の別荘に立ち寄る。宇治の八の宮の姫君たちに関心があったからだ。匂宮は薫や夕霧(源氏の君の長男)の子息たちと碁や双六をしたり琴を弾いたりして楽しんでいる。宇治川を挟んだ対岸にある八の宮邸にもそのにぎやかな管弦の音が響き、八の宮は昔の宮中での栄華の日々を思い出さずにはいられない。翌日、八の宮から薫に贈歌があり、それを見た匂宮が代わりに返歌をする。匂宮は帰京後もしばしば宇治に歌を送るようになり、八の宮はその返歌を常に中君に書かせるようになる。年の暮れの雪の日、宇治を訪れた薫は大君と対面し、匂宮と中君の縁談を持ち上げつつ、おのが恋心をも訴え、京に迎えたいと申し出るが、大君は取り合わなかった。翌年の春、匂宮の中君への思いはますます募るようになり、夕霧の六の君との縁談にも気が進まない。また、自邸の三条宮が焼失した後始末などで、薫も久しく宇治を訪ねていない。夏、宇治を訪れた薫は、喪服姿の姫君たちを垣間見て、大君の美しさにますます惹かれてゆくのであった。

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)

原本自筆上部に「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。漢詩のは「天に昇ったり地に潜ったり、あまねく楊貴妃の魂を尋ね求め」という故事に由来する。椎本の原文の中に匂宮の「おちこちの汀に波はへだつともなほ吹きかよへ宇治の川風」とい和歌がある。これは、匂宮と中の君の間を歌い「私たちの間に隔つとも宇治の川風よ私たちを親しくさせてください」と意味で、楊貴妃の魂を尋ね求める」ことにも通じる。紫式部が「椎本」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」椎本(しいがもと)の巻》
「椎本」の巻は英文で「The Eastern Cottage」と表記されます。
《自筆上部の原本自筆上部に原本自筆上部に「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。》

「額縁入自筆原本」

(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

「自筆原本」

自筆右下の上の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。

《自筆上部の原本自筆上部に「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること
遍(あまね)し】という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。》

《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。


《「源氏物語」椎本(しいがもと)の巻》
《「升天入地求之遍」【天に升(のぼ)り地に入りてこれを求めること遍(あまね)し】
という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。》

《匂宮(今上天皇の皇子)・薫の君と宇治八の宮の姫君(中の君・大君)の物語》

《匂宮(今上天皇の皇子)、初瀬詣での帰途に宇治に立ち寄る》

《薫の君、匂宮(今上天皇の皇子)の迎えに八の宮邸に来る》

《秋、薫の君、中納言に昇進し、宇治を訪問》

《薫の君、弁の君から昔語りを聞き、帰京》

《なんあり》・・・・ける。あす(明日)、入りたまはん
とての日は、例ならす、こなたかなた、たゝすみ歩き
たまひて見たまふ。いとものはかなく、かりそめの
宿りにて過くいたまひける御住まひのありさまを、
「なからむのち、いかにしてかは、若き人の絶え
籠もりては過くいたまはむ」と、涙くみつゝ念誦
したまふさま、いときよけなり。おとなひたる人
ひと召し出てゝ、「うしろやすく仕うまつれ。
何ことも、もとよりかやすく、世に聞こえあるましき
際の人は、末の衰へも常のことにて、紛れぬへかめり。
かゝる際になりぬれは、人は何と思はさらめと、
くち(口)・・・・・《お(惜)しうて》

(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。


(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。


《「源氏物語」椎本(しいがもと)の巻》
《匂宮(今上天皇の皇子)・薫の君と八の宮(桐壺帝の皇子・朱雀天皇の皇太子)の姫君(中の君・大君)の恋物語》

《匂宮(今上天皇の皇子)、初瀬参り(長谷寺参詣)の帰途、宇治・八の宮邸に立ち寄る》
《八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君を歓待》

《八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)姫君(大君・中の君)の将来を案じる》
《秋、薫の君、中納言に昇進し、宇治を訪問》

《八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)は、お心のうちでは、
この世の執着をお捨てあそばしたのであろうが、朝夕これまで姫君(大君・中の君)たちを
いつもおそばにおおきになっていて、今にわかにお別れになるというのは、
無慈悲なお気持からそうなさるのではないにしても、姫君(大君・中の君)の
お心にはいかにもうらめしく思われるにちがいないお仕打ちというもので》・・・・あった。
八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)は、明日山寺にお入りになろうという、
その前日は、いつになくあちらこちら佇まれながら、お邸内をお見回りになる。
まことに粗末な造りで、ほんの一時の宿りとして過してこられたお住いの有様を
ごらんになって、八の宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)は、
(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)「自分のなき後は、どのようにして
若い姫君(大君・中の君)たちが世間付き合いもせずにお過しになれるだろう」
と涙をうかべながら御念誦なさるお姿は、まことに清らかに見える。
宮(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)は年輩の女房たちをお呼びになって、
(桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子)「不安のないよう姫君(大君・中の君)たちに
お仕えしておくれ。もともと何事にも気にすることがなく世間の噂にも
のぼらないような身分の者であったら、子孫がだんだん衰えていくのも
当り前のことで人目に立つこともなかろう。
しかし当のような皇族という身分ともなると、人はなんとも思わないにしても、
情けない・・・・・《有様で落ちぶれるようなことがあっては、こうした尊い素姓に
生れついた宿縁に対しても畏れ多いことだし、はた目にもずいぶん見るに
しのびないことが多いにちがいない。》

備考・
美しい大君と中の君の二人の姫君の父・八の宮は、桐壺天皇の皇子であり、朱雀天皇の弟で皇太子でもあった。本来なら次期天皇と目されていたが政変により都を離れ宇治に住む。

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。




(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。


《Beneath the Oak (椎本)》
On the evening before his departure he inspected the premises
with unusual care, walking here, stopping there.
He had thought of this Uji villa as the most temporary of dwellings,
and so the years had gone by.
Everything about him suggesting freedom from worldly taints,
he turned to his devotions, and thoughts of the future
slipped in among them from time to time.
His daughters were so very much alone―
how could they possibly manage after his death?
He summoned the older women of the household.
"Do what you can for them, as a last favor to me.
The world does not pay much attention when an ordinary
house goes to ruin. It happens every day.
I don"t suppose people pay so very much attention
when it happens to one like ours.


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)


(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。


《柯根(椎本)》
明日即将入山,今日与往常不同,
八王向山庄各巡行察看。本来是一所陋的住宅,
他在里草草度日而已。但念自身死后,
个青年女子怎能耐性地在里度日?
他一面流泪,一面念,姿甚清秀人。
他召几个年的侍女来前,嘱咐道:
“要好好服侍位小姐,好教我放心。
大凡出身本来微、在世默默无的人,
子衰微是常有的事,世人也不加以注目。
但像我等身的人家,
人如何看法然不得而知,但分衰,
在不起祖宗,困苦之事也一定很多。
岑寂度送月,原是常之事,不足。
但能恪守家,不家声,外名声可保,
自己也无愧于心。世常有希富而
于不得如意称心之事。故切不可率从事,
位小姐委身与不良之人。”
他准在天色未明之入山,行又走女公子室中,


中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。

「椎本の巻」原本の末尾(原本番号38-B)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印

左の写真が「源氏物語」椎本の巻の末尾(原本番号38-B)の押印。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。左端の写真は「椎本の巻」末尾の拡大写真。
上の篆書体は、「升天入地求之遍」【天にのぼり地に入りてこれを求めることあまねし】の押印。
篆書体の左の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。



(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。筆者は近衛関白政家公。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。上下2段の花押のうち、上の印は。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」


(出品した自筆の「断層画像写真」(椎本の巻)MRI 46―13B
自筆二つの印のうち上は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款。

「源氏物語」「椎本の巻」主人公・椎本の資料

下記写真は、「源氏物語絵巻」の中に描かれる大君・中の君の姫君と匂宮と薫の君。


「源氏物語絵巻 」椎本(大分美術館所蔵)舟に乗り、楽器を弾きながら

八の宮邸に向かう匂宮(今上天皇の皇子)と薫の君。邸の中は大君と中の君




「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」


1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行





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